2013/02/19

忙しくてネットに現れるのをさぼり中

ここのところ
ブログやFBアップをだいぶさぼっていますが
元気に食べて飲んで飛んでるノブエアーデス。

現実社会がいそがしくて
なかなかネットの世界にたどりつけず…

ネタはたっぷりあるのにタイムリーに
お披露目できなくて哀しいばかりですが
そのうち暇を見つけてドバっと更新しますから
ご愛読くださっている皆様
(そんなにいないと思うけど)
気長にお待ちくださいね~☆

Dsc01378

実はこっそりちょっとずつ更新しているんだけどね…

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2012/11/06

a little but heavy contribution

この時期になると職場にいろいろな関係団体から
署名とカンパの要請が来る。

日本の保育制度の現状を良くするための、
たとえば待機児童問題の解決とか幼保一元化とかの
政策提言の請願書を衆参両院に提出するため署名と、
そういった運動の経費捻出のためのカンパ金。

0歳の頃から子どもを
保育園で面倒見てもらっていて
(お世話になった保育園には足向けて寝られませ~ん)
そしてひょんなことから
今の職場で働かせてもらっていて、
日本の幼児教育や保育所制度のイロイロな問題点を、
保護者としても、職業としても、
日々感じてもいるわけなので、
ちょっとでも解決できればと思って
日頃からこの手の署名・カンパには協力している。

そういえばムカシの上司が
「こつけな(置賜弁「このような」)カンパ、
おれだ(置賜弁「私たち」)は
(この団体への)会費ちゃんと払ってるのに
カンパなんぞさらにもらわなければ活動できないなんて
けしからん!
あの高い会費はどこさ消えてるんだ!!
カンパが要るくらい銭が余計にかかるのか???」
って怒っていたなあ。
怒りながら協力していたけど。

カンパ金。
自分で募ると格好悪いし
けしからん感じがするのはなぜ?

どんなふうに使われていったか
透明な報告がちゃんとなされなくて、
その上その使われ方が「清く」なくては、
払う人が腑に落ちなくなるのは本当にその通りだわ。
(補足: 上司が怒っていたその団体は
ちゃんと活動してきちんと報告してますよ)

ただでもらう銭、施してもらう銭には
払う側、施す側の期待値が
金額以上にケッコウ盛られていることが多いから
受け取った側は
やっぱりそれに応えられるように努力しなきゃいけないし、
努力した以上の結果を出さないと
そっぽ向かれてしまうことが起きるのは、
受け取る方が思っている以上に、
多い。

怖いわカンパ。
重いわカンパ。
ただでもらう銭ほど後腐れがあるものないわ。

今年も払ったし、署名もしたけど、
団体さん、ちゃんと成果出してね~。
今すぐじゃなくてもよいけど。

っていうか署名は9年
(長男を保育園に預けたころから)
カンパは4年協力させてもらってるんだけど、
今までに何か変わったっかなあ?
日本の保育園、9年前と比べて
ホントに良くなったかなあ?
悪くなっていないだけマシって
前向きに考えた方がよいのかしらん?


↓保育園にお世話になっていたころの
うちのお子さんたち。
メンゴイなあ☆
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ハングエイドも良く使われますように。

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2012/05/11

フカイトリソウトゲンジツ

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ナウシカの リセット的な 腐海に対し 
理想と現実を 思わざるを得ない
"Fukushima"の 現在進行形を 目の当たりにして

今日はナウシカが地上波でやっていますね。
ワタシは空飛ぶ人の一人(多分)ですが
初めて見た小学生4年生のころから
ナウシカは「空のあこがれ」ではなくて
もっと深いトコロが好きだったり
嫌いだったりしてマス。

ワタシの住む十分一エリアは
実は福島第一原発から
だいたい半径100km前後のところに位置しています。

大好きなコシアブラ
(山菜の女王と呼ばれ、十分一、高ツムジに雑草のように生えてマス)
を今年も山盛り採って天ぷらにして頂き、
ワラビもきっと夏になっても採り続けて一本漬にして、
(夏のワラビはかたくてあんまり美味しくないんだけど)
山の恵みを今年も享受しているワタシですが、
きっと山の放射線量は高いのでしょうね。
上山の熊のベクレル値が規定よりもうんと高かったって
報道もGW直前に流れた気がします。
(山形ローカルかもしれないけど)

でも、あんまり気にしないワタシは楽天的なのか。

そうじゃなくて。

実はチェルノブイリの事故のとき、
ワタシは日本にいなくて、
小学生だったりして、
スイスに家族旅行で滞在していて。
そのときに直接浴びた放射線や
ハイシーズンのわりには空いている
観光地で喜んで飲んだ牧場のしぼりたて牛乳や
水遊びしたアルプスハイキングルート沿いの小川から
直接摂取した放射性物質の量は
結構相当なものだったんだろう。

それでも生きてきて、
今後、何かの不具合があっても
それでもきっと死ぬまで
何が何でも生きていて。
子どもも二人授かってみて。
今のところワタシも子どもたちも何も起きないけど。
与えられた条件と環境について
悲観することも拒絶することも
それは命を全うすることにはなりえない。
そしたら、すべてを受け入れて、
すべては我だと割り切ったほうが
人生前向きじゃない?

もし何かが起きてしまったら、
チェルノブイリのせいなのか、
フクシマのせいなのか、
それとも小学校の校庭に埋まっていた
六価クロムのせいなのか、
UAEのコンポストに混ざっていた水銀のせいなのか、
それとも足をねん挫するたびに整形外科で、
または虫歯になるたびに歯医者で撮っていた
レントゲン写真のせいなのか、
ムカシ食べたチュッパチャップスの
舌が赤く染まった色素のせいなのか、
菅平の標高の高いところの紫外線のせいなのか、
それらの因果関係は
ホントウのところはよくわからないのだ。

そしてフクシマを含めて↑のややこしいところは
「ワタシタチ」が良い生活をしたくて
選んできたことの延長線上の結果だったりする。

デモ、キット。
ワタシの明治時代から生きて、生き残ってきた
おじいさんやおばあさんたちよりも
化学物質にまみれたわたしたちは
長生きできないだろうと思っているのだけれども。

この世の中は複雑なもつれあいの中の微妙なバランスの中で
したたかに出し抜きあってみんな生きているのかもしれないし、
生きているつもりで
実は生かされているのかもしれない。

「映画」のナウシカの腐海や終末論や
救世主的なヒロイズムは
すべての人間が為した「汚れ」を
人的なものを越えた何かが都合よくリセットするみたいで
他力本願で、嘘臭くて、偽善的で、
子どものころから好きになれない。

でも、ついつい、TVで放映されるたびに
やっぱり観てしまうのは
ナゼナンダロウ。

コタエ: タンナルアニメオタクナンジャナイノ?

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2012/01/25

つながろうとすること、つながれてしまうこと

最近、Face Book なるものをはじめた、
ちょっとold fashon気味な
ワタシタチ、NOB Air な夫婦。

NOB ← 類まれなるIT音痴。
ワタシ ← 新し物好きだけど相当へそ曲がり。

大丈夫なの?

ソシテ。
相変わらず何をFBでしたらいいかわからないんだけど。

ここで10年、つながりが途絶えてしまった、
「teen」になるまえからの
「親友」
(そう呼べる人は今も昔も彼女唯一人だけ、でも片思い)
の消息をFBでつかめたことには感謝できるんだけど。

つながりをたどること以外の可能性について
まだ懐疑的なんだけど。

ブログのほうが、
勝手につながろうとしないだけ、
筒抜けにならないからこそ、
好き勝手に書けることは分かっているんだけど。
こっちで観てくれるのは
自らワタシの存在を探して
知ってくれているあなただけ。
あなたがダレであってもかまわない。
どんな好意があっても悪意があってもかまわない。
でもワタシはこっちでも「本名」。
隠し事なんて何もない。

アッチハソウジャナイカンジ。
プライバシーセッテイナンテ、ギゼンナカンジ。
現にワタシ、あっちでは旧姓でしか名乗っていない。
ヒカレタセンロニシカノレナイヒトハ、ミナ「ウゴウノシュウ」トドウイゴダ。

あえて自分で探さなければならない労苦を
愛おしく思う自分は、
すでに風化していくしかない
化石な様なモノなのか。

勝手にリストアップされることの利便性に甘んじる前に、
埋没することの気楽さになじんでしまうことの
陳腐さと愚かしさと、
埋没しない様に努める己の悪あがきについて
自画自賛することの阿呆さ加減について、
自己選択と自己決定のうぬばれさ加減について、
でもそれらの反対の「ウラカエシ」について、
考えさせられない瞬間はない。

果たして、
簡単につながる人々と物事の
薄っぺらさは私の利害と一致するか?
ゲーム化された上っ面で波乗り遊びしている人たちは
「ワタシタチ」のことを本気で見つけようとしていたの?

それとも。
ぱっと見、ハングに関係ない犬ネタも、
じつはハング関係者のことだったりすることも
たまにはあるんだけど。
そういうbetweeen the line 的な
行間に埋め込まれた
化石のような昔話みたいなことを知っているような人々も
FBという広くて狭い、深くて浅い海には
存在しないのかも知れない。

ソウデハナクテFBダロウガブログダロウガ
ネットニイルヒトタチハ、
ナマミノセカイ、ノヒトスクイダケダ。

共有しているつもりで
共有なんてさっぱりしていない価値って何?
あっちだろうが、こっちだろうが、
つながっているようでいて、
だけど仮想現実でしかつながることしかできない
アサイワタシタチッテダレ。

そして。
10年間、
マージナルに、
いや本当に山形は辺境、
魂の洗濯という、つまり、現実逃避をしていて、
小娘でいたつもりで
すでに相当小姑な「私」。

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2012/01/12

カンジルアサ

今朝の冷え込みは厳しかったですね。

朝6時の気温、気象庁の発表だと、南陽市は-6℃。
でももっと寒かったような。
職場の同僚、家の中の水道、凍りついて破裂、
要修理と言っている人がケッコウいたような。
(この辺は大概は凍結防止の水道仕様になっているので、
家の中で凍るのはとても古い家か
安普請な家かのどっちかなのだ)

こんな日の気候のことを
置賜弁で「カンジル」と言う。

具体的には
職場に出勤して初めて交わすあいさつに
「今朝はカンジタネエ」
「オライの家の水道管ヨォ、
凍ってしまって破裂したハァ。」
「それは難儀だったベシタ。」
なんて活用するんだけど。
漢字で書くと
「カンジル=寒じる」なのかな。

置賜弁、というか東北弁、奥が深い。

「人種」の違いを如実に「カンジル」のだ。

つまり、
この北の大地は、教科書で習う通り、
「蝦夷(えみし)」であって「蝦夷(えぞ)」であって、
それはその言葉が生きていた時代、
その名をいただく土地は「国境」を越えた外国を意味していて、
それは近世(江戸時代)以降白河
(それはハンググライダー的にも大きな関門!)以北、
中世以前は箱根以東の文化圏であり、
その文化圏は、
多分朝鮮半島をルーツとする
「大和(やまと)」な文化圏とは
すごく異質な存在であって、
とにかく現在言うところの関東以南西との
人種的、文化的、民俗学的な価値観の差を歴然と感じ、
それはハング人がよく蔑視的に使う
「南東北」(つまり、群馬、栃木、茨木)ともちょっと違う感じであり、
その差異が長く暮らしていると
「トテモ面白イ」。

江戸時代から生き残っている言い回しの生き残り的な
東北弁のフレーズをよく耳にする。
それは、首都圏の私たちが
忘れてしまった遠い記憶を呼び覚ます。
「そんな言い回し、
そういえば、古典の教科書にあったかもしれない」というように。
それは例えば
「ああ、市長さんがゴザッタ
=あ、市長がいらっしゃった」とか。

ひょっとすると伝達にかかる時間と
伝達にかかわるプレイヤーの多さから
生じてしまう、
「客観」という「主観」の嘘、
つまり、
客観的に伝える際にかかわる「人」の多さに比例する
「主観の口出し」に起因する伝え間違えが、
方言に存在することを、
かつて「首都」人だった私は
目ざとく見つけてしまったりしたりする。

「ハマル」も中央の人と少し違う意味がある。
たとえば
「私もハメテ」なんていうと、
置賜以外の人は赤面してしまうんだけど、
実は
「私もご一緒させて」
という意味で、
保育園児が鬼ごっこに混ぜてもらうとき、
「ぼくもハーメーテー」と普通に言う。
でも「はめる」もしくは「はまる」に
本来的に「一緒に参加する」という意味は多分ない。

「カンジル」も
正しくは
「寒じる」なんて使い方はないだろう。
(と、かつての超々難関大学を合格できる程度の国語力では
そう思うのだが、それとも勉強不足なのか)

そして、その言葉自体が、
国語辞書にも載っていなくて、
ルーツを探すのも難しいっていうケースも多い。

たとえば
「モゴサイ(=かわいそう)」
とか
「サイヅツ(=とんかち)」
とか。

そんなことを
今朝洗濯機のふたを開けたら
昨夜まわしっぱなしで
干すのを忘れた洗濯ものが凍りついていて
家の中でも、
マシンの中でも、氷点下な過酷な気候を目の当たりして、
つい、ここはやはり「蝦夷」なのだと
「カンジ」ざるを得ない朝の現実に考えて込んでしまったら、
だんなの弁当を作るのを忘れたり。

そして。
私の本能的な生存遺伝子は
「外国」を求めていた故に
このヤマト顔とは程遠い、
縄文顔なノブヒロ君に魅かれたのかしら?
ちなみにノブさんの実家の近くのことを
オバンチャ(ウン年前に95歳で他界したノブさんの祖母であり、
凛空たちの曽祖母)は
「蝦夷平(えぞだいら)」と言います。
やっぱり「蝦夷」なのね。

Dsc05931

ところで。
ひどい置賜弁を知っていますか?
「タカラモノ」
です。
ワタシ、こんなこと、職場で言われたら、
多分自殺しそう。

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