今朝の冷え込みは厳しかったですね。
朝6時の気温、気象庁の発表だと、南陽市は-6℃。
でももっと寒かったような。
職場の同僚、家の中の水道、凍りついて破裂、
要修理と言っている人がケッコウいたような。
(この辺は大概は凍結防止の水道仕様になっているので、
家の中で凍るのはとても古い家か
安普請な家かのどっちかなのだ)
こんな日の気候のことを
置賜弁で「カンジル」と言う。
具体的には
職場に出勤して初めて交わすあいさつに
「今朝はカンジタネエ」
「オライの家の水道管ヨォ、
凍ってしまって破裂したハァ。」
「それは難儀だったベシタ。」
なんて活用するんだけど。
漢字で書くと
「カンジル=寒じる」なのかな。
置賜弁、というか東北弁、奥が深い。
「人種」の違いを如実に「カンジル」のだ。
つまり、
この北の大地は、教科書で習う通り、
「蝦夷(えみし)」であって「蝦夷(えぞ)」であって、
それはその言葉が生きていた時代、
その名をいただく土地は「国境」を越えた外国を意味していて、
それは近世(江戸時代)以降白河
(それはハンググライダー的にも大きな関門!)以北、
中世以前は箱根以東の文化圏であり、
その文化圏は、
多分朝鮮半島をルーツとする
「大和(やまと)」な文化圏とは
すごく異質な存在であって、
とにかく現在言うところの関東以南西との
人種的、文化的、民俗学的な価値観の差を歴然と感じ、
それはハング人がよく蔑視的に使う
「南東北」(つまり、群馬、栃木、茨木)ともちょっと違う感じであり、
その差異が長く暮らしていると
「トテモ面白イ」。
江戸時代から生き残っている言い回しの生き残り的な
東北弁のフレーズをよく耳にする。
それは、首都圏の私たちが
忘れてしまった遠い記憶を呼び覚ます。
「そんな言い回し、
そういえば、古典の教科書にあったかもしれない」というように。
それは例えば
「ああ、市長さんがゴザッタ
=あ、市長がいらっしゃった」とか。
ひょっとすると伝達にかかる時間と
伝達にかかわるプレイヤーの多さから
生じてしまう、
「客観」という「主観」の嘘、
つまり、
客観的に伝える際にかかわる「人」の多さに比例する
「主観の口出し」に起因する伝え間違えが、
方言に存在することを、
かつて「首都」人だった私は
目ざとく見つけてしまったりしたりする。
「ハマル」も中央の人と少し違う意味がある。
たとえば
「私もハメテ」なんていうと、
置賜以外の人は赤面してしまうんだけど、
実は
「私もご一緒させて」
という意味で、
保育園児が鬼ごっこに混ぜてもらうとき、
「ぼくもハーメーテー」と普通に言う。
でも「はめる」もしくは「はまる」に
本来的に「一緒に参加する」という意味は多分ない。
「カンジル」も
正しくは
「寒じる」なんて使い方はないだろう。
(と、かつての超々難関大学を合格できる程度の国語力では
そう思うのだが、それとも勉強不足なのか)
そして、その言葉自体が、
国語辞書にも載っていなくて、
ルーツを探すのも難しいっていうケースも多い。
たとえば
「モゴサイ(=かわいそう)」
とか
「サイヅツ(=とんかち)」
とか。
そんなことを
今朝洗濯機のふたを開けたら
昨夜まわしっぱなしで
干すのを忘れた洗濯ものが凍りついていて
家の中でも、
マシンの中でも、氷点下な過酷な気候を目の当たりして、
つい、ここはやはり「蝦夷」なのだと
「カンジ」ざるを得ない朝の現実に考えて込んでしまったら、
だんなの弁当を作るのを忘れたり。
そして。
私の本能的な生存遺伝子は
「外国」を求めていた故に
このヤマト顔とは程遠い、
縄文顔なノブヒロ君に魅かれたのかしら?
ちなみにノブさんの実家の近くのことを
オバンチャ(ウン年前に95歳で他界したノブさんの祖母であり、
凛空たちの曽祖母)は
「蝦夷平(えぞだいら)」と言います。
やっぱり「蝦夷」なのね。

ところで。
ひどい置賜弁を知っていますか?
「タカラモノ」
です。
ワタシ、こんなこと、職場で言われたら、
多分自殺しそう。
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